「嫌われる勇気」を実践しているつもりの失礼な後輩の話

 
僕は『嫌われる勇気』という本が好きです。
 
自分自身の人生です。
他人の人生を歩むわけではありません。
 
他人からの批判を恐れず、自分がやりたいと思った事や、したいと思った事を挑戦することは、人生を楽しむ秘訣だと思うし、とても素晴らしい事だと思います。
 
僕自身もこの考え方は好きです。

他人が決めたやり方や、他人が決めた価値観に従いすぎるのも嫌だなぁと思っているので、自分の価値観を大事にし、自分で考えて行動をするようにしています。
 
例えば会社でも、おかしいと思った事は空気を読まずに上司に「おかしくないですか?」と言いますし、与えられた業務の中で出来ないやりたい事は、会社の中で仲間を見つけ有志で活動を行っていたりします。
 
 
『嫌われる勇気』とは『自分自身のやりたいことやる勇気』・『自由を選ぶ勇気』・『自分自身を受け入れる勇気』と言い換える事もできます。
 

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僕の後輩もこの『嫌われる勇気』が大好きな後輩がいます。
彼もアドラーの教えが好きで「自分の人生なので、自分が好きなようにする」というポリシーを持っているようです。
 
自分のペースで出来るところまでやる、無理はし過ぎない、マイペースキャラなんですが・・・
 
  • 打ち合わせに遅刻する。
  • トイレ休憩に行って30分帰ってこない。
  • デスクで昼寝をする。
  • 飲み会中に途中で帰る。
  • チームルールを守らない事もある。
  • これ以上やると精神的にキツくなると思うと、勝手にスケジュールをリスケする。
  • 「だって仕方ないじゃないですか」を連発する。
といった事を平気でします。
僕自身は「アウトプットで評価する派」ので、勤務態度についてはそこまでとやかく言わなくてもいいと思ってるのですが、正直「流石にやりすぎでしょ」と思うことも多いです。(求めるアウトプットも出ていません)
 
 
 
グループで仕事をする時に彼がいると、他のメンバーは心を乱されます。
 
 
「今やっている仕事は、やりたい仕事ではないので、最低限しかしません。嫌われてもいいから自由にやります。」
と彼は言っていたのですが
「なんか間違えてね?」
と思っていました。
 
 
何となくモヤモヤしていたのですが、
バラエティ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」で堀江貴文先生が言っていた、以下の教訓を聞いた時にしっくりきました。
 
 
『生意気と失礼は違う』
生意気はいいけど、失礼はよくない。
当時はただの失礼なやつになっていたかもしれない、と回想しています。
 
おかしいと思った事や、自分が違う意見を持っている時は、嫌われる事も恐れず、生意気にどんどん主張していいと思います。
 
生意気なやつは可愛いんですよ。
僕のアウトプットに対して文句を言ってきたり、おかしいと思う点に食ってかかってくる後輩もいます。時々、僕の考えた至らなかった点に気づく事もできるし、考えが伝わってなかったら、自分の説明が悪かったと反省することもできます。とてもありがたいですし、そういう奴は可愛いんですよ。
 
でも、失礼なやつは、普通にムカつくんですよね。
 
 
 
社会には、法律というルールがあります。
スポーツだって、ルールがあります。
人とコミュニケーションをとるうえでも、やっぱりルールがあると思います。
 
 
 
当然、世の中には「意味のあるルール」と「意味のないルール」もあります。
会社や組織のルールで、意味のないルールもたくさんあります。
 

自分が意味がないと思うルールがあれば「これおかしいんじゃないですか?」と生意気に提案すればいいと思いますが、勝手にそのルールを破ると、それは単に失礼なやつになりかねません。
 
 
 
僕はおそらくこれからも空気を読まない行動はするでしょう。
 
しかし、組織で行動する以上は、最低限のルールは守り、失礼な奴にならないように気をつけなければ、と思いました。
 
 
おわり
 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

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