【書評】 『希望の国のエクソダス』村上龍著 〜この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない

 

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

 
これは、僕が好きな名言の1つです。
このセリフは『希望の国のエクソダス』村上龍著に出てくるセリフです。
希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)

 

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【希望の国のエクソダス 内容】

2002年秋、80万人の中学生が学校を捨てた。経済の大停滞が続くなか彼らはネットビジネスを開始、情報戦略を駆使して日本の政界、経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく。その後、全世界の注目する中で、彼らのエクソダス(脱出)が始まった―。壮大な規模で現代日本の絶望と希望を描く傑作長編。

引用元:内容(「BOOK」データベースより)希望の国のエクソダス (文春文庫) | 村上 龍 | 本 

 

 
この本は2000年に出版されたので、15年以上に発売されましたが、最近(と言っても少し前ですが)また注目されているようですね。
 
この本を読むと『希望』『普通』について考えさせられます。
今の時代、それぞれが思い描く『普通の生活』というのが曖昧になってきています。
 
「普通に幸せになりたい・・」という人に聞いてみたいのですが、『普通の幸せ』とはどんな生活でしょうか?結婚しているのでしょうか?子供は何人いて、どんな週末を過ごしているのでしょうか?それは本当に「普通」なのでしょうか?

 
 
対戦で敗北し、戦後の焼け野原だった東京では、復興し、自分の家を持ち、三食ちゃんと食べれるという事が希望だったかもしれません。
1950年代後半には、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が『三種の神器』を持つこと、1960年代半ばのいざなぎ景気時代には、カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car) の3種類の『新・三種の神器』を持ち、より良い生活をする事が希望だったかもしれません。
 
じゃあ今の時代はどうなのでしょうか?
昔に比べれば圧倒的に豊かになっています。本当になんでもあります。お金があれば色んなサービスを受けることができます。
 
ゆっくりと死んでる、幼なじみはそう言ったが、それは多くの日本人に共通の気分だったかも知れない。日本人にとって重要な何かが音を立てて崩れていくような不安感が1990年代からずっと続いていたのだ。結局のところ、それは閉塞感だったとおれは思う。
しかし、何をやっても満足できない、ゆっくりと死んでいるような『閉塞感』が蔓延しているのかもしれません。豊かになった結果は、次にどう進めばいいか、進むべき道、つまり「希望」が無くなって来ているのかもしれません。
 
 
「子どもの場合ですが、とりあえず大人のやり方を真似るっていうか、参考にしていく以外に生き方を考えることはできないわけで、要するに、誰を真似すればいいのか、みたいなことがまったくわからなくなってしまっているわけです」
 
子供たちは誰の真似をすればよいのでしょうか?
30年前は、一生懸命勉強し一流大学・一流企業に入る事が「幸せ」になるための王道パターンでした。しかし、今の時代はその王道パターンを歩んでも必ずしも幸せになれるわけでありません。
 
一流企業に入り社畜として一生懸命働くよりも、ノマドワーカーやユーチューバーの方が幸せかもしれません。地方でマイルドヤンキーになった方がクオリティ・オブ・ライフは高いかもしれません。
 
 
今の子供たちに「幸せにになるめには何をすればいいですか?」と聞かれて、僕は何て答えていいのか分かりません・・
 
あなたならなんと答えますか?
 
 
 
僕は、国全体が豊かになった次の段階は、国全体としての希望ではなく、個人の希望が求められる時代が来ると思っています。横を見て他人と同じ様な生活(普通の生活)を求めたり、他人よりちょっといい生活を求めたりする時代は終わりつつあります。
 
 
自分は何がしたいのか。
自分がどうなりたいのか。
自分の希望は何なのか。
 
 
それを考えることが求められています。
そして、それを考える事が普通からの脱却(エクソダス)の第一歩かもしれませんね。
 
 
とても面白い本なので興味がある人は読んでみてください。
 
 
おわり
 

 

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)

 

 

 

 

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