『負け犬の遠吠え』酒井順子著を読んで、暗い気持ちになりました。

 
『負け犬の遠吠え』酒井順子著を読みました。
学生時代に一度読んだので10年ぶりぐらいに読みなおしてみました。
 
当時は

「30歳を過ぎた女は『負け犬』って思われるんだな・・
女じゃなくて男で良かった。」

ぐらいにしか思わなかったですが、
アラサーになってから読むととてつもない息苦しさを感じ、暗い気持ちになりました。
負け犬の遠吠え

負け犬の遠吠え

 

 

本の内容としては、結婚していない女性の話です。
負け犬とは・・・
狭義には、未婚、子ナシ、三十代以上の女性のことを示します。
(中略)
いわゆる普通の家庭というものを築いていない人を、負け犬と呼ぶわけです。
引用元:『負け犬の遠吠え』P.7 
 
普通に結婚して、普通に幸せができなかった人が、既婚子持ちの友達にさり気なくマウントされたり、どんな時にミジメさを感じるかがありありと書かれています。
 
この本は10年以上前の2003年に出版された本です。
10年間で大きく女性の恋愛・結婚事情も変わってきているでしょう。
 
 
 
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上記の未婚率の推移のグラフを見ると分かるように、未婚率は右肩あがりで上昇しています。今の時代は未婚、子ナシ、三十代以上の女性が30%以上もいるので『負け犬』ではないかもしれません。
30歳で独身でも『負け犬』とレッテルを貼ることや、30代の独身女性に「早く結婚しなよ」と言うことは、ナンセンスな時代になっているのかもしれません。
 
 
 
僕は、アラサー女性の事を思って息苦しさを感じたり、女性の恋愛事情の実状を知って息苦しさを感じたわけではありません。
 
僕が息苦しさを感じたのは「いわゆる普通というものを築いていない人を、『負け犬』と呼ぶ雰囲気」に対してです。
 
 
 
『負け犬』は未婚、子ナシ、三十代以上の女性だけのレッテルでしょうか?
僕はそんな事はないと思います。
 
『負け犬』とは世の中で普通と思われる事を出来なかった人に対してはられるレッテルなのです。そして、厄介なのは、自分では『負け犬』と思ってなくても、周りから勝手に『負け犬』認定されて評価されてしまいます。
 
 
これは恋愛に限った事ではありません。
 
大学受験の時にも『負け犬』認定された人がいました。僕のいた環境は、まぁ地方国立大・マーチレベルには普通に合格するでしょ?という雰囲気でした。そこに合格できない奴は『負け犬』でした。専門学校に進む人が何と言おうと、彼らの意見は『負け犬の遠ぼえ』でした。
 
就職活動も同じでした。多くの友達やクラスメイトが、一部上場企業の内定や、公務員になることが決まっていました。就職活動に失敗し、無い内定の人や中小企業に内定した人は『負け犬』でした。
 
普通と思われる事を出来なかった人に対しては、容赦なく『負け犬』というレッテルが貼られます。
 
会社に入っても同じです。アウトプットが出ずにポジションを変えられた人を「使えない人」とレッテルを貼り、仕事が忙しすぎて体調を壊した人を「メンタルが弱い」とレッテルを張ります。
 
 
 
プライベートだってそうです。
 
僕は、アラサー・未婚・彼女なしの元遊び人の男性なのですが、20代でめちゃくちゃ遊んでいる時は「羨ましい」と言ってくれて友達から、アラサーになると「今だに遊んでいるの?みっともないね」と「しょうもない人」のレッテルを貼られています。(自分で「しょうもない人」と認めていますが・・)
 
ちょっと上の年代を見ると、不倫・浮気をしている人や、家族が仲わるい夫婦に対して「普通の家庭生活も送れない人」とレッテルを貼りあいをしています。子供が不登校になるもの「あの家庭はね・・・」と陰口を言うのもドラマでよく見ます。
 
 
 
 
「いわゆる普通」とは何でしょうか?
 
結婚に求めるのを聞くと
「普通の生活でいい」
「普通の幸せが欲しい」
とよく聞きますが、その普通とは具体的に何なのでしょうか?
 
何歳で結婚して、
世帯年収がいくらあって、
子供が何人いて、
休みの日に何をするのが
普通なのでしょうか?
 
 
今僕はスタバでこの記事を書いていますが、僕の横にはおじさんが仕事をしているし、目の前には20代の女性がフラペチーノを飲みながらスマホをいじって、斜め前には受験生と思われる少年が勉強しています。この空間にいる人に「普通の幸せ」と聞くと全員が違う回答をするのではないのでしょうか。
 
それぐらいは「普通」とは曖昧です。
しかし、その曖昧な普通を基準にして、普通じゃない人に対して『負け犬』のレッテルはる雰囲気は確かにあるように感じます。
 
 
時が経つに連れ、普通の基準はゆるやかに変わると思います。
昔は子ナシ・未婚・30歳以上が『負け犬』と言われていましたが、それが普通になれば、次は子ナシ・未婚・35歳以上が『負け犬』になるだけではないでしょうか。
 
 
アラサーになり『普通であることを求められる息苦しさ』を感じ、辛くななりました。
自分がどう思おうが、まわりからは普通であることで評価されてしまいます。
 
 
時代は変わります。
普通であることが求められない時代が来るかもしれません。
 
しかし、現状としては、普通であることが求められる時代だと思います。
そしてその普通とは「それなりの努力」と「それなりの運」が必要なわりとハードルが高いものだと感じます。
 
と、とりあえず、
家に返ってアドラー心理学の本でも読みなおそうと思いました。
 
おわり
 

 

負け犬の遠吠え (講談社文庫)

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嫌われる勇気

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